上方歌舞伎、江戸歌舞伎、という言葉を聞いたことがあるかもしれません。それぞれには、どういった違いがあるのでしょうか?
ここでは、上方歌舞伎と江戸歌舞伎の違いについて、歴史を追って、迫ってみたいと思います。
上方歌舞伎とは?
上方(京都・大阪)から根付いていった歌舞伎は、江戸でも大きな人気を博していきました。華やかな町人文化が花開いた元禄時代には、上方で、人間の細やかな情愛を描いた作品が流行します。
当時人気だった人形浄瑠璃を歌舞伎化した、近松門左衛門の作品『曽根崎心中』、『心中天網島』などが、ヒットを飛ばしました。遊女の悲恋や、心中物、さまざまな人間ドラマが、同じような立場の町人の間で人気となっていたようです。
近松門左衛門につきましてはこちらの記事で解説しています。よろしければこちらもご覧ください。
近松門左衛門とは?代表作は?歌舞伎とはどんなつながりがあるの?
近松門左衛門とは、江戸時代初期に上方で活躍した、人形浄瑠璃(文楽)の脚本家です。しかし、当時大人気だった歌舞伎役者、初代・坂田藤十郎に作品を提供するようになり、歌舞伎にも深く関わるようになりました。 ...
こうした優男の恋愛を描く「和事」の性質を持った作風は、上方歌舞伎と呼ばれます。この頃、名優と謳われた坂田藤十郎や、芳沢あやめなどが活躍し、“女形”が流行とともに大きく進化していきます。
女形につきましては下記の記事で解説しています。合わせてご覧ください。
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江戸歌舞伎とは?
一方、江戸では、上方とは対照的に、豪傑が戦って活躍する、いわゆるヒーローものが人気でした。勇壮で荒々しい演出を得意とした市川團十郎が、江戸の人々から人気を得て、大スターとなります。
歌舞伎十八番にも選定された『勧進帳』や『暫』など、“男性が憧れる男性像”を描く演目が、主に流行ったようです。物語に登場するキャラクターには、時に武士だけでなく、鬼神や妖怪の類も含んでいたため、まさに超人的なヒーローが活躍する作品に、人気が集まりました。
小道具や演出も、荒々しさを誇張して表現されており、「荒事」と呼ばれています。特殊で非現実的な衣裳や、人物の顔の隈取、見得、発声など、「荒事」は、様式的な特徴にこだわっています。江戸歌舞伎の特徴は、こうした様式美を追及した作風と言えそうです。
見得についての解説はこちらの記事をご参照ください。
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上方と江戸の違いは、それぞれの町の気質にも寄る?
江戸時代、特に大阪は、商人の街として栄えていたため、庶民文化や生活に密着した物語が好まれた傾向があります。町人が主人公の恋愛ドラマにも、細かい心理描写で、写実的な物語の脚本が多く描かれています。
また、「和事」に登場する男性は、物腰柔らかく、上品で優しげなイメージで、女性が好む細面のイケメンタイプと言えます。
「荒事」に登場するのは、前述通りの、いわゆる豪傑な男性像です。大きく見得を切り、大股で六方を踏みながら花道を駆け抜ける、大胆な演出が好まれました。物語も、敵討や武士のお家存続にかかわるものなどが、人気があったようです。
江戸は男女の比率で見ると、圧倒的に男性の数が多かったそうで、そうした“かっこよさ” が求められたのかもしれません。
また、この時代は、お客さんにも大胆な人が多かったようで、良い芝居は舞台に集中し、まずい芝居には容赦なくヤジがとんでいたそうです。お客と舞台との距離感が、今より近かったとも言えますね。
上方歌舞伎と江戸歌舞伎の違いは、生活文化の違いともいえる
同じ「歌舞伎」という名称で呼んでも、上方歌舞伎と江戸歌舞伎では、特色が全く異なると言っても過言ではありません。東西それぞれの文化が異なっていたため、そのように発展していったと考えられます。
江戸では「粋」と受け取られる演出が、大阪では物足らなく感じたり、また逆を感じる事もあるようです。だからこそ、様々な種類の、さまざまな作風が生まれたと言えます。
芸に関しても、江戸では、先代の芸をそのまま踏襲することが好まれました。一方、上方では、同じ演目でも、常に創意工夫をして変化していくことが重要とされていたそうです。
さらに、同じ演目でも「上方式」と「江戸式」で、終幕の演出が異なったり、役の衣裳が異なったりするそうです。なかなか気づき難い違いかもしれませんが、写実性を重要とする上方式の演出と、あくまで様式美として追及する江戸式の、こだわりの違いと言えますね。
上方歌舞伎の存続
明治維新以降、文化は東京に集中し、関西の歌舞伎興行は減少していきました。一時は、終焉を迎えたとも言われていましたが、昭和から平成に変わる頃に、東西ともに歌舞伎はブームを迎えます。
一時期衰退していた上方歌舞伎の演出は、現在も、少しずつ復興活動がされているそうです。