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近松門左衛門とは?代表作は?歌舞伎とはどんなつながりがあるの?

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近松門左衛門とは、江戸時代初期に上方で活躍した、人形浄瑠璃(文楽)の脚本家です。しかし、当時大人気だった歌舞伎役者、初代・坂田藤十郎に作品を提供するようになり、歌舞伎にも深く関わるようになりました。

その作品は、現在でも文楽や歌舞伎で、多く上演されています。ここでは、近松門左衛門と、その代表作について、ご紹介したいと思います。

近松門左衛門の生まれはどこ?

近松門左衛門

近松門左衛門

上方で活躍した近松門左衛門ですが、生まれは越前(いまの福井県)と言われています。武士の家に生まれた次男とのことで、本名は杉森信盛と云うそうです。

幼い頃に、父親が藩を辞して浪人となり、一家は京都へ移住することになります。近松門左衛門は、京都で名門・公家一条家などに仕えて暮らしていたそうです。

公家の暮らしに触れて、教養や知識を身に着けたことが、近松門左衛門が後に書いた作品に活かされたと言われています。

近松門左衛門はいつから脚本を書き始めたのか?

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近松門左衛門が浄瑠璃の脚本を書くようになったのは、仕えていた公家・正親町公通の使いで、宇治嘉太夫という人物に出会ったのがきっかけとされています。

宇治嘉太夫は、のちに宇治加賀掾と名乗り、京都四条で浄瑠璃の一座を立ち上げた人物です。近松門左衛門の最初の作は、作者名の記述はないものの、ここで上演された世継曾我に間違いないと言われています。

その後、宇治加賀掾の弟子であり、義太夫節の始祖である竹本義太夫が、近松門左衛門の浄瑠璃を語り、竹本座を立ち上げました。1685年に上演された出世景清は、ふたりの協力関係が始まった作品であり、ここから近世浄瑠璃が始まったと言われています。

1693年以降、近松門左衛門は、当時既に大人気だった歌舞伎役者・坂田藤十郎に作品を提供します。近松門左衛門が歌舞伎と深く関わっていたのは、坂田藤十郎が存命していた間で、没後は浄瑠璃に戻っています。初代・坂田藤十郎が、どれほど近松門左衛門に強い影響を与えたのかが想像できますね。

近松門左衛門の代表作

歌舞伎の舞台

近松門左衛門は、時代物や世話物で人気を博しました。代表作をご紹介します。

出世景清(しゅっせかげきよ)

1685年初演
近松門左衛門が20代の時に、竹本義太夫に書いた正式なデビュー作と言える作品です。浄瑠璃史では節目の作品といわれており、この作品以前を「古浄瑠璃」、以降を「新浄瑠璃」や「当流浄瑠璃」と呼びます。

物語は、平家滅亡後も源頼朝を敵と狙う、平家の重臣・藤原景清(悪七兵衛)の苦難を描いたものです。「阿古屋の琴責め」など、数多く書かれた「景清物」の基本となっていることから、当時から続く人気の高さが伺えます。

曽根崎心中(そねざきしんじゅう)

1703年初演
曽根崎心中は、愛を誓い合った醤油屋の手代・徳兵衛と、天満屋の遊女・お初が、この世を儚んで来世を誓い合い、心中するという物語です。世話物の代表格とも言われる作品で、現在でも、文楽・歌舞伎ともにたびたび上演されます。

実は同年に、曽根崎の森で起こった、実際の心中事件を脚色して作られました。この作品が話題となり「心中物」ブームが生まれました。

近松門左衛門の世話物の第一作であり、文学作品として、現代でも高く評価されています。「お初徳兵衛」と言えばわかる人もいるほどで、1978年(昭和56年)には映画化もされています。

冥途の飛脚(めいどのひきゃく)

1711年初演
こちらも、実際の事件を脚色したと言われている物語です。曽根崎心中とともに有名な世話物で、飛脚問屋の養子・忠兵衛と遊女・梅川の悲恋を描いています。この時代から、悲恋は人気だったようです。

梅川を身請けしたいが為に、忠兵衛は大名家に届けるはずだった三百両に手を付けてしまいます。二人は逃げますが、追手がかかり、ついには捕まってしまう…という内容ですが、忠兵衛と実父、そして梅川とのやりとりや心の機微が、人情味あふれる秀作であると評されています。

国性爺合戦(こくせんやかっせん)

1715年初演
中国の明の時代に実在した軍人「鄭成功(ていせいこう)」を題材にし、さらに脚色した作品です。鄭成功は、俗名「国姓爺」として親しまれていますが、近松門左衛門は、これを「国性爺」と置き換えました。物語も、史実とは異なる展開で描かれています。

主人公・鄭成功(“和藤内”とも呼ばれます)は、明朝(中国)から亡命した父親と、日本人の母親を持つ、当時では珍しいハーフです。外国の様子を知ることが難しかった当時の人々には、異国を舞台にした物語は、とても新鮮だったに違いありません。

異国の王室の復興を目指すこの国性爺合戦は、大人気となり、初演から17カ月に及ぶロングランを記録したそうです。

心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)

1720年初演
こちらも、同年に大阪の網島で起こった心中事件を脚色した作品です。心中物でもっとも成功したと言われる代表作で、近松世話悲劇の傑作と言われています。

物語は、紙屋治兵衛と、遊女・小春の別れられない末の心中で、治兵衛の妻・おさんの健気さや、周囲の人々の義理人情が、細かく描写されています。

心中物のブームは、人々にも強い影響を与え、実際に来世を誓っての心中事件が多発してしまったそうです。1723年には、江戸幕府により、心中物の上演や脚本の執筆、発行が禁止されました。

女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)

1721年初演
大阪の油屋、河内屋の放蕩息子・与兵衛が、お世話になっていた油屋豊島屋の女房・お吉を惨殺するという物語で、題名から受けるイメージそのままの作品です。

借金の返済ができなくなった与兵衛は、お吉を殺して店の掛け金を奪おうとします。油まみれになりながら、追って、逃げてとふたりが争う場面は、凄惨さと迫力が舞台から感じられます。ちなみに舞台上では、油の代わりにフノリを使うそうです。

いまにつづくヒット作家・近松門左衛門

歌舞伎の花道

歌舞伎を知らない人でも、「この物語は知っている」という作品があるのではないでしょうか。近松門左衛門が書いた、普遍的なテーマでもある世話物は、時代を超えて人々を楽しませてくれています。

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